これは、娑婆神峠の石畳にある「娑婆神橋・上の橋」です。苔むし、草に覆われ、目を凝らさないとちょっと気づかないかもしれません。
でも、よく見るとアーチを作っている輪石も確認できる、ちっちゃいけれどちゃんとした眼鏡橋です。
娑婆神峠の石畳というのは、昔、薩摩街道の一部だったそうです。その頃、小野部田から豊福にかけて、山裾まで海だったので、娑婆神峠路が北へ通じる幹線路でした。
娑婆神峠路は、大切な通路であるとともに、位置や険しさから戦乱の時代は要塞にもなり、相良十八代の義陽が悲運の死をとげました。また、西南の役でも戦場となったそうです。(豊野川入り口の看板より)
今では、豊野町側の入り口と小川町側の入り口に謂れを記す標識が立っているだけで、残念ながら通り抜けることはできません。
しかし、小川側からの入り口を入り、少し行くと前述の娑婆神橋・上の橋があります。昔は下流に下の橋もあったそうですが、今は流失してしまっています。
石畳がわずかに残り、周りは鬱蒼とした杉林で、異世界に迷い込んだのではないかと錯覚してしまうほどです。
Uki trip 公式アンバサダー 池上史代
娑婆神峠の石畳(さばがみとうげのいしだたみ)
「娑婆神峠・上の橋」は小川側の入り口から少し行ったところにあります。
橋の先は通ることができませんので、お気を付けください。